修了生・院生による専攻紹介
  


彭 萱(台湾) 日本言語文化学講座所属 博士前期課程
 大学の日本語学科時代から台湾にて、日本語を勉強し始めて、日本についていろいろなことを学び、知るようになりました。最初は言語の勉強だけでしたが、日本語を勉強するにつれて日本の文化や文学などのほうに惹かれました。大学三年の時に、一度交換留学生として日本で一年間勉強しました。とても充実して楽しい一年間でした。その時に受けた異文化の刺激が原因でもあり、台湾と日本とは深い関係もあるため、それについてますます興味が湧いてきました。大学の卒業論文は日本統治時代の台湾人日本語作家についてでしたが、他にも当時の台湾を描く日本人作家がいた。やはり資料の収集の難しさと、まだ研究され始めたところのため、その時代のことはあんまり論じられていませんでした。次は日本統治時代に台湾にいた日本人作家の研究をしようと考え、日本に留学することに決めました。しかし、同じく日本にとってはそのような作家達は主流ではないので、重視されてなかったし、あんまり知られてないことに気付き、日本にきてから台湾で研究をやったほうがよいのではないかと不安を抱きながら、その不安が研究をやっているうちに消えてしまいました。研究生をやっている間に、入試を準備しながらも先生や先輩の授業を受けてました。研究は実に無限の可能性を持っていることをそのさまざまな授業から気付かせてくれました。そうして、入学試験を受けて、日本言語文化専攻に入りました。
 修士一年の時に、いろいろな授業を受けました。以前触れたことのない分野のものもあるので、大変でした。しかし、自分と完全に無関係に見える授業でも実は、その中からあるヒントを得ることや、研究方法を発見することによって自分の研究に役に立つことがたくさんありました。授業の時にはいつも多国籍の留学生とディスカッションしながら進行しています。それにつれて自分の視野も広がりました。先生方は常に新しい啓発や刺激を与えてくれて、どんな質問でも十分に答えてくれます。知の無限と自分の知らなさすぎることをしみじみと感じています。その反面、もっともっと知りたいという意欲が湧いてくるのもそのおかげです。そうして、いろいろなことを調べていくと、しらずしらずのうちに自然に研究の面白さが分かってくるような気がします。
 日本言語文化専攻は、プレシャーがなく、いろいろな知識や研究の仕方を吸収しながら、自由自在に学習ができ、楽しく自分のしたい研究のできる場所です。

名嶋義直 日本語教育学講座修了 (東北大学大学院文学研究科 助教授)
 私は2002年9月に日言文を満期退学し、大学で留学生に日本語を教えています。大学の教官となって改めて思うのは日言文の先生方の素晴らしさです。在学中、見倣いたいと思うことはたくさんありましたが、振り返ってみると、実行できていることはごくわずかです。そこで、私の個人的体験を述べることで日言文を紹介したいと思います。私は他大学で修士課程を修了し、日言文に入学しました。入学ガイダンスでは不安な気持ちで一杯でしたが、私は専攻長の「教官もリソースです。どうぞ利用して下さい」という内容の言葉を聞いて少し安心できました。簡単に言える言葉ではありません。すばらしい言葉だと思いました。実際、入学してみるとその言葉通りでした。研究室のドアを「学生が入りやすいから」と常に開けていらっしゃる先生方がいらっしゃいます。丁寧に、真剣に指導して下さる先生方がいらっしゃいます。指導教官でないにも関わらず、声を掛けてくださったり、相談に乗ってくださったり、意見をくださる先生方がいらっしゃいます。但し、大学院は自分で学ぶところだということはお忘れなく。そういう厳しさを教えてくださる先生も、もちろんいらっしゃいます。私は日言文で研究だけではなく、人を教えるということについても学ぶことができました。今は、学生から利用される(=頼りにされる)教官になることを目指して、学んだことを実行すべく精進しているところです。

許 夏玲(香港) 日本語教育学講座修了 (東京学芸大学留学生センター 講師)
 2000年3月に日言文を満期退学した許 夏玲(フイ ハーリン)です。私が香港から初めて名古屋を訪れたのは1990年の秋でした。文部省の奨学生として来日して、名古屋大学言語文化部の日本語・日本文化研修1年コースで勉強しました。1年の留学生活が終わって、母国へ帰ってからも名古屋のことを忘れられませんでした。もっと日本語を勉強したい、もっと日本の文化や社会を知りたいと思って、1993年2度目の来日。今度も名古屋でした。名古屋大学大学院文学研究科(今の国際言語文化研究科)の日本言語文化専攻に入学して、再び留学生活を送りました。私が大学院に入って本当によかったと思うことは、とても良い指導教官に恵まれたことです。いつも学生の身近にいる存在で、勉強熱心かつチャレンジ精神がいっぱいな指導教官からは、教わらなければならないことが実に沢山ありました。学問の道は長くて厳しいのです。博士論文を書いている時、勿論辛いことがいろいろありましたが、そのたびに指導教官を始め、多くの大学院の先生方や院生の友達からご指導やご助言をいただいたり、暖かい励まし言葉をいただいたりして、大学院でかけがえのない有意義なものを沢山得ることができました。そして、2000年の秋、念願の博士学位を取得して、翌年の4月には同専攻の助手として採用される幸運に恵まれました。助手として勤めさせていただいている間、研究科長、専攻長を始め、院生の皆さんに支えていただいて、様々な困難を乗り越えられて、毎日新しいことを習いながら有意義に過ごしていました。助手の任期があるため、辛いですが、2002年の秋、「巣立ち」を決めました。先生方からいただいた暖かいお言葉を心に銘じて、これまで日言文で習ってきたことを日本語教育の現場に活かせるように一生懸命に頑張っていきたいと思っています。

王 淑琴(台湾) 日本語教育学講座修了 (台湾 東呉大学日本語学科)
 日言文では、今までの人生の中でもっとも充実し、楽しい時間を過ごすことができました。
 ここでは、日本語教師になるための専門知識だけでなく、語学研究に必要な方法論や言語理論などの知識も学びました。指導教官をはじめ日言文の先生方からは、指導面ではきめ細やかなご指導をいただき、生活面でもいつも親切に相談に乗っていただきました。それに、日言文では、各国からの留学生が多く、日本人学生との割合もバランスよく保たれています。日本人学生及び各国からの留学生とのさまざまな交流は、私にとって一生忘れられない思い出になります。また、異文化交流を通じて、留学する前に比べて私の世界観が広がったと思います。
 2003年4月に日言文で博士号を取り、8月に教員として台湾の大学に赴任することになりましたが、新米の私は少し不安を抱いております。しかし、日言文で先生方からいただいた教えと知識、また、そこで体験した一つ一つのことをもって、きっとその不安を克服し、日本語教師及び研究者としての責任を果たせると信じております。

浅井美恵子 日本語教育学講座修了 (日本語教師)
 「はじめまして。浅井美恵子です。今日から皆さんと一緒に勉強していきます。」
 これが私の日本語教師としての第一声でした。1999年の秋、ロシア、イルクーツク言語大学の日本語学科で、私は念願だった日本語教師という仕事を始めました。初めに言った言葉は、今振り返ると、日本語教師としての私を象徴している言葉だと思います。なぜなら、私は常に学ぶ場に身を置き、勉強し続けているからです。
 私が日本語教師になろうと考えたのは大学生の時です。その時、私は日本語を教えるためには「知識」が必要だと考えていました。それを身につけるため、この日本言語文化専攻に入学しました。同級生は、既に日本語教師をしている人、大学時代から日本語教育を専攻してきた人、海外で日本語教育を受けてきた人など、この分野に関心も経験もある人ばかり。本当に自分はやっていけるのか、日本語を教えられるようになるのか、心配してばかりの毎日でした。でも、これは日言文の大学院生が全員抱える悩みです。自信がない分勉強、勉強と自分を励まし、同級生たちと話し合い、最後に「がんばろう!」と気合いを入れていました。「授業を受けたら、日本語教師になれる」という単純な考えが、先生方や先輩、同級生と話すうちに、そんな単純なものではないと、徐々に、確実に変わりました。
 大学院での生活は主に「知識」を磨くものだったと思いますが、「実践」の重要性を予想させてくれる場でもありました。日本語教育実習では、教科書・教材作りから授業、報告レポート作成までほぼ全て自分達の手でやっていかなければなりませんでした。学生に対する態度や話し方など、講義を聞いたり、演習で議論したりしているときには気付かなかったことに直面して考えさせられたことは、その後の「実践」に対する自分の考えの根底になっていると感じています。
 念願だった日本語教師としてロシアに行き、本格的に「実践」し始めてみると、さらにいろいろな発見の連続でした。日本での日本語の役割と海外での日本語の役割との違い、これは頭ではわかっていたつもりでしたが、本当に納得できたのはロシアで実際に教えた経験によると思います。しかし、大学院での「知識」のおかげで、その場にあった授業を心がけ、大学の同僚や学生たちに信頼してもらえるようになりました。「知識」と「実践」の相互効果がよい授業、よい指導につながると納得できました。さらに、ロシアでは日本語を教えるだけでなく、自分がロシア語学習者として言語習得に取り組まなければなりませんでした。なかなか表現を身につけることができないもどかしさや、失敗を恐れる気持ちなど、言語学習者の不安やジレンマは教えている学生の問題ではなく、自分の問題です。でも、うまく言いたいことを伝えられたときの格別の喜びも感じることができました。これは別の角度から「知識」を増やし、「実践」の経験を積むいい機会だったと思います。
 私が日本語を教えられるようになるまでも、なってからも、実に多くの人々に支えられています。大学院の先生方、先輩、同輩からだけでなく、同僚や学生達からもいろいろなことを教えてもらい続けています。人との関わりなしに「知識」も「実践」もありえません。他の職業に就くより、それが大きく感じられるのが日本語教師という仕事だと思います。そして、日本語教師を育てていく先生方、そして日本言語文化専攻に関わる様々な皆さんのおかげで、そういうすばらしい職業に携わることができているのだと思います。指導教官の大曽先生がよくおっしゃる「研究と教育の両方ができる日本語教師になってほしい。」ということばは、日本語教師の「知識」と「実践」を良く表し、さらに、他の人と支え合っていく形を示唆していると思います。今後も研究と教育の両方ができる日本語教師、「知識」と「実践」が豊富な日本語教師を目指して勉強を続けていきたいと思います。

蓮池いずみ 日本語教育学講座修了 (韓国 建国大学 講師)
日本言語文化専攻で日本語教育学を研究しようとする人たちは、主に二つのタイプに分けられると思います。「これから日本語教師を目指す人」と、「日本語教師として、さらに専門性を高めようとする人」。大学院入学当時の私は後者で、同級生の中では数少ない教師経験者の一人でした。日本語教師養成コースで日本語教授法の基礎を学び、その後国内の日本語学校等で教えていましたが、日本語教育経験が長くなり、教材開発や新人教師の指導などにも関わるようになると、今の自分の教師としての考え方は、これまでの経験からくる勘のようなものでしかなく、理論的な裏づけのない不安定なものだと感じるようになりました。日本語教師としてさらに成長し、日本語教育の専門家として認められるようになるためには、日本語と日本語教育について更に深く学ぶ必要がある、そう考えたのが大学院に進学するきっかけでした。
 大学院入学後は、専門的な知識や研究の方法を学ぶ以外にも、多くの発見がありました。中でも私にとって重要な変化は、自分の中の「常識」を疑ってみることの大切さに気づいたことです。大学院では、どの講義でも学生の間で活発に意見が交わされ、一つ発言すると、それに対する反論が次々と返ってきます。このような議論の場に参加して、自分とは異なる見方があること、自分が「常識」と考えていたことが必ずしも正しくないことに気づき、自分の中に定着していた考えを見直すことの必要性を痛感しました。また、教育実習は、それまでの教師経験の中でパターン化していた教え方を反省する良い機会となりました。実習中に先生やTAの方から受けた数々の指摘の中には、今まで自分が全く気づかなかったことも多く、今後改善すべき点、また自分の個性として生かすべき点が明確になったことが何よりの収穫でした。
 日本言語文化専攻の学生には、大学院在学中に海外で日本語教育を体験する人が少なくありません。私も在学中に、韓国の大学で日本語を教える機会を得ました。韓国に赴任する前は、日本国内であろうと、海外であろうと、「日本語」を教えるということに変わりはないのだと考えていました。しかし、実際に現地の学習者と接してみて、海外の学習者は、日本語教師を通して「日本」を見ているのだという、大きな違いに気づきました。学習者が、日本で生活していれば自然に目にし、体験することができる日本の文化や風習を、教科書や教師の言葉を通して学ぶしかない海外では、日本語教師は「言葉」以上のものを教えることが求められるのだということを実感しました。
 日本語教育実習を受けるときにも、海外へ行くことを決めたときにも、同じ大学院生から、「経験者なのになぜ今さら?」と聞かれることがありました。しかし、今まで述べてきたように、経験者だからこそ、自分の考えや教え方を見つめなおす場が必要であり、新しい体験による発見が大きな刺激となるのだと思います。これから日本語教師になる人、既に教師をしている人、外国語として日本語を勉強してきた人など、多様なバックグランドを持つ学生が集まる日本語言語文化専攻は、様々な異なる視点から日本語教育を考える上で最良の環境です。このような恵まれた環境で学べたことを感謝しながら、今後もここで得た新しい発見、ひとつひとつを自分の財産としていきたいと考えています。

寺島啓子 日本語教育学講座所属 博士後期課程
 私は平成12年4 月に国際言語文化研究科日本言語文化専攻日本語教育学講座に入学し、現在も同講座で勉強中の学生です。同時に、日本語を外国語として学ぶ人たちに日本語を教える日本語教師でもあります。
 私は大学院入学以前から既に日本語教師として、民間の日本語学校、大学の留学生センター、市民講座などで日本語を教えていました。大学院に入学したのは、きちんと理論を勉強して、より効果的な日本語の授業ができるようになりたいと思ったからです。当時、私は、果たして自分の授業がどれだけ学習者の役に立っているのか、現在の教え方で良いのか、日本語学習者の日本語に接したとき、日本語教師が考える「日本語のうまさ」と日本語教師以外の人が考える「日本語のうまさ」との間にズレがあるのではないだろうか、など、日本語教師としての多くの疑問を抱えていました。このような疑問を解決し、もっと自信を持って日本語を教えられるようになりたいと考え日本語教育学講座に入学したのです。大学院で私が得てきたことは期待以上のものであった言っても決して過言ではありません。
 まず、講義に関して述べると、本研究科では、私が期待した日本語教育の理論だけではなく、日本語教師として知っておくべき日本語学や文化、他の言語との対照研究などの講義が開講されています。また、単に日本語だけにとどまらず、言語理論や言語習得、談話など、広く言語に関わる問題を取り扱う講義や、言語研究に必要なスキルに関する講義などもあります。また、他の研究科との風通しもよいため、コンピュータのプログラミングやコーパス構築、統計処理など、おそらく他の「文系」の研究科では開講されていないのではないかと思われるような講義も受講できます。このような環境の中で、私自身は、言語に関する知識を得ただけでなく、研究のおもしろさ、奥深さ、入学前に漠然としか分からなかった自分の本当の興味や可能性にも気づくことができたように思います。
 また、より広い視野がもてるようになったことも大学院で得たこととして挙げられます。本研究科にはさまざまな国籍、年齢、経歴の学生が在籍しています。そのため、入学前には教師の目でしか見られなかったことがらも、実はいろいろな立場からのいろいろな見方があることが分かりました。これは本研究科の学生であることの大きなメリットだと思います。私自身、まだまだ未熟ではあるものの、物事は一面的な見方だけではなく、常にいろいろな見方をすることが必要だということに気づいたことだけでも、大きな進歩だと考えています。 さらに、当たり前のことなのですが、研究と教育は常に結びついていることを実感し、実践できるのだと分かったことも、私にとっては大学院で得た重要な認識です。入学以前は、研究は学者がすることだと思っていたのですが、本研究科に入学して、語学教師一人一人が多くの研究課題に直面しており、自分さえその気になればすぐにでも研究者にもなり得る立場にあるのだと分かりました。これが分かった上で大学院に在籍することのメリットは、 その研究にじっくり時間がかけられること、また一人の力では及ばないような研究でも、研究協力者がすぐに見つかること、研究相談相手が豊富なことだと思います。それに、明言する人はあまりいませんが、「学生」であるため、失敗してもそれをフォローしてもらえる立場にあることも、私は密かに大きなポイントではないかと考えています。加えて、本研究科には新聞、書籍、話し言葉などの電子化された豊富なデータベース(コーパス)があり、その利用を助けるさまざまなツールが既に準備されているため、先行研究では成し得なかったさまざまな研究ができる環境にあります。さらに、このデータベースやツールは現在も構築中で、院生という立場上、自分の研究に必要なデータやツールを申請すれば、それが使えるようになる可能性が高いというメリットもあります。
 このように、本研究科はいろいろなことを考え、身につけ、実践できるところです。私はまだまだ発展途上の身であり、本研究科の価値がきちんと分かっていないところもあると思います。しかし、私が自信を持って言えるのは、本研究科は自分次第で自分の可能性を大きく広げられる場だということです。
 「忙しいから」「自分には能力がないから」「若くないから」などというのは自分への言い訳に過ぎません。まずは一歩を踏み出すことが大切だと思います。初めの一歩は大きな一歩である必要はありません。軽い気持ちで少し動いてみるだけで、自分で予想もしなかった大きな世界が広がっているかもしれません。私はその予想もしなかった世界を楽しんでいる数少ない人間かもしれません。また、もちろん大学院だけが自分の可能性を広げられる場だというわけではありません。しかし、大学院に少しでも興味を持ってこのページを覗いてみた方になら、本研究科が自分の可能性を広げる重要な選択肢の一つになり得ることは間違いありません。

ジャミラ・モハマド(マレーシア) 日本語教育学講座所属 博士後期課程
 1999年の春、名古屋に来てすでに3年間が経ちました。来日したのは初めてではないですが、日本はそれぞれの地域によって生活環境や人々の生活習慣が違いますので毎日新しいことを経験しています。
 子供の時から、ローマ字やアラビア文字の他に中国系の人達が使っている漢字も身近にあり、なんて不思議な文字なんだろうと思いとても興味を持っていました。しかし、中国語なら他民族国家のマレーシア国内ででも習うことができます。世界に出てみたいという希望を抱き、同じく漢字を使っている日本は最もふさわしい国であると考えました。また、日本で学位を取得すればマレーシアに帰ってからも仕事には困らないし、新鮮で新しいことにも挑戦できるということから日本に留学することを決意しました。
 そして、1992年の春に初めて来日しました。留学先は茨城県、筑波大学日本語日本文化学類でした。日本に来る前に日本語や日本の文化等については色々習いましたが、やはり日本に来てからは、まさに「百聞は一見に如かず」、文化、習慣、そしてマレーシアとは全く違う気候もすぐ理解できました。一年中熱い国からきた私にとって、最も印象深かったのは日本の四季のことでした(雪を見るのはその冬が生まれて初めてだったんす!)。勉強の面では勿論不安や苦労も多かったですが、日本での生活はあまりにも楽しくてあっという間に4年間が過ぎてしまいました。(当時お風呂や温泉に入る習慣にはどうしても慣れず4年間入らずじまいでした!)
 二度目に日本に来たのは、1996年の秋でした。その時は埼玉県、北浦和にある国際交流基金日本語国際センターで日本語教授法や日本語教育について学ぶため、日本語教師になる研修を9か月間受けました。帰国後、マレーシアのマラヤ大学にある日本語予備教育機関(AAJ)で日本語教師として2年間くらい勤めました。教師としての仕事に生き甲斐を感じ充実した日々を送りながらも、教えてみて初めて直面した疑問や問題もありました。そこでもう少し日本語教育について勉強したいと思いました。幸いにもマラヤ大学に教師として籍を置きながら、文部省奨学金をもらい日本の大学院に進学できることになりました。
 現在博士前期課程から引き続き、マレーシア人を対象に日本語の「丁寧体」と「普通体」の使い分けの習得に関する縦断的な研究をしています。日本語では同じ事柄を述べる場合も、相手や場面によって文体を使い分けているのに対して、マレーシア語には同様の言語形式が存在しないため、マレー語母語話者にとっては「丁寧体」と「普通体」の使い分けが困難なものとなっています。そのことをここで追究し、将来マレーシアの日本語教育にいかしたいと思います。名古屋大学は設備も充実しているし、先生方も大変きめ細やかに指導してくださるので、大変良い環境で研究させてもらっています。また、大学には1000人以上の留学生が在学しているため、様々な国や文化にも触れることができ、まさに国際的な環境と言えます。
 今振り返ると日本での留学生活においては、辛いこともありましたが、楽しいことも数えきれないほどありました。その経験は一つ一つ私の人生の大変貴重な経験になりました。これからも人との関わりを大切にし、研究も頑張って続けていくつもりでいます。私の座右の銘としては「郷に入っては、郷に従え」であり、そのような生き方でいればどんなことでも乗り越えられると信じています。そしてマレーシアに帰ったら日本語だけではなく、日本で学んだ「時間の大切さ」や「勤勉さ」「責任」等についてもなるべく多くのマレーシアの人々に伝えていきたいと思っています。

ジュディ・プレストン(アメリカ) 日本語教育学講座所属 博士後期課程
 ジュディ・プレストンと申します。アメリカのウィスコンシン州から来ました。学部の時にアメリカで日本語教育学を専攻してしばらく高校で日本語を教えていました。そして、名古屋大学の日本言語文化専攻について聞き、最初は自分の教える能力を 高めるために名古屋大学大学院で教授法や日本語の談話分析、教育統計学、日本語文法などを勉強したいと思いました。1999年の10月に名古屋大学大学院国際言語文化研究科の入学試験を受け、2000年4月に日本言語文化専攻・日本語教育学講座に入学しました。博士前期課程1年の時に日本人学生や他の外国人の学生と友達になって授業中積極的にディスカションをし、 日本語教育における様々な問題について話し合うことができました。これが私の「話し言葉の文体」についての研究のきっかけになりました。文体の研究について指導教官や他の先生方にたくさんアドバイスをいただきました。何よりもいいのは、指導は徹底的であるけど、高圧的ではないということです。先生方は自信をもって研究を進めるよう励ましてくださいました。
 M2の時に「アメリカ人日本語学習者の文体に対する日本人母語話者の反応」を調査しました。これによって日本の社会の中には様々なグループがあり、アメリカ人の日 本語を聞いたときにそれぞれ異なる反応を示すこと、グループによって外国人に異なる話し方を期待していることがわかりました。そして、話し相手によって適切な文体を選んで話すことができるような日本語教授法とカリキュラムを考えようという結論に至りました。博士後期課程では、日本語の文体習得に関する研究を行う予定です。

劉 秋燕(台湾) 応用言語学講座修了 (台湾国立屏東商業技術学院)
 日本語言語文化専攻に入学して以来、言語、文化、日本語教育など多くの知識を身につけることができ、日本を含め各国から集まってきた人々と交流ができて大変有意義な日々を過ごすことができました。留学生という身分で異国で生活するということは決して簡単なことではありません。言葉の違い、文化の違い、研究方法の違い、生活の問題など、日本で暮らし始めた頃いろいろと苦労しました。しかし、研究が壁にぶつかっているとき、励ましてくださり、指導してくださる先生方がいらっしゃったから、 生活上問題が起こったとき、親身になって一緒に解決策を考えてくださる先生方がいらっしゃったから現在の私がいます。自分自身も実感できるほど多方面で大きく成長した私であります。この研究科に入学でき、この講座の先生方について勉強することができ、大変幸運に思い、ありがたく思っております。

宋 正植(韓国) 応用言語学講座所属 博士後期課程
 応用言語学講座の紹介ということになれば、わが指導教官(近藤教授)担当の「応用言語学概論」についてお話しせざるをえません。
 私なんか、この授業を過去に3度も受講してるんですよ。今年度も受講しています。ですから4度目。飽きないかって? 全然飽きませんね。おもしろいですから。この授業では、最初に発表者(レポーター)の順番が決まります。1学期に最低1回は発表することになっていますので、受講者数によっては、1回の授業で発表者が2人になる場合もあります。逆に受講者数の少ない年度には、発表の順番が何度も回ってくるというわけです。最初の発表者は先生です。先生がまず発表の模範を示し、その後で院生が次々に発表していきます。発表者はそれぞれの研究分野に応じて読みたいと思う論文を取り上げることができます。また、発表者自身の研究を紹介するのも可能です。要するに、発表者自身に役立つものであれば、「なんでも可」ということ。
 まわりを見てみると、みんな自分の研究に追われていて、他人の研究には無関心になりがちです。自分の研究の殻に閉じこもっていると、思考が自己中心的になりがちですよ。殻を破って、関心を共有しあうことが肝心。関心を共有しあうには、「応用言語学概論」はうってつけの授業です。なんと言っても、多用な研究分野、研究方法、研究態度、問題意識に接することができますから。先生は発表者が取りあげようとする論文を1週間前に受け取って、それを読んだ上で授業にのぞまれます。先生は発表者の発表を聞いてから、それに誤解はないか、感想を含めて意見を述べてくださいます。その後は、参加者全員によるフリーディスカッション。授業の最後に発表者は、研究の意義、研究の発展性、研究の方法などについて先生からコメントしてもらいます。 さて、この授業の最大の難点、それは「夜間授業」だということです。腹は減るし、夜道は怖いし。それからもう一つの難点はと言うと、えー、他には何もないように思います。

李 欣怡(台湾) 応用言語学講座所属 博士後期課程
 道草を食う。
 はじめてこの表現を学んだのは、台湾の大学の日本語学科時代でした。授業で日本人の先生にテキスト代わりに紹介されたエッセーから出てきたのですが、残念ながら作者の名前は覚えていません。しかし、当時の新鮮な感動は今でも記憶に残っています。
 そのエッセーは、人生は目標に向かって前進することも大事だが、偶に「道草を食う」ことも必要であると主張するものでした。例えば辞書を引くときに、目的のことば以外に、他のことばの意味や使い方を読むこと も面白いかもしれない、と。道草を食いながら歩む人生は、一直線の人生よりも豊かかもしれない、と。ついつい周りの風景に惹かれてしまう私には、まさに「自己正当化」するのに最高の味方でした。
 高校時代に広告の仕事に憧れ、どちらかというと理系人間の私は、広告学科を受けるために文系の道を選びました。そのせいで(はい、そのせいにしたいのです。)、大学の統一入学試験(日本のセンター試験みたい なもの)で良い成績を出せず、第一志望の某国立大学の広告学科を断念しなければなりませんでした。そこで、「それでは、広告は将来日本で学ぶことにしよう!」と夢をふくらませ、とりあえず日本語学科へ。結局大学を出て、直接に念願の広告代理店に入りました。好きな仕事とは言え、相変わらず道草を食わずにはいられませんでした。広い草原の中で、「残業の後で同僚に日本語を教える」という草も入っていましたしかし,あらいけない! 教えるうちにどんどん興味が出てきて、「昼間のお仕事」よりも達成感があることに気付いてしまいました。そう言えば日本留学も目標だったよね、と思い出し、今度は日本語教師を目指して名古屋大学にやってきたのです。
 研究テーマは広告代理店時代の悩みや疑問からヒントを得たものです。意外なところで仕事をしていた経験が役に立ちました。授業は、研究テーマとの関係よりも、面白そうかどうかで決めましたが、何故かどこかで研究テーマに繋がってきます。何か得したような 気分です。今になって考えてみたら、そもそも何もかも繋がっていたように思えます。われわれは学問の海でイソギンチャクのように触手を長〜く伸ばして、海草であれ微生物であれ、通りかかったすべてのものを捕まえればいいのです。それがいつか必ず栄養分に なってわれわれを成長させてくれるのです。道草って本当は道草ではなく、幼い私たちが目的地に辿りつくための体力をつけてくれる食料のように思えます。
 こんな道草主義の私は、幸いなことに、実に様々なクサがそろっている日言文に入ることができました。ここでは色々なクサの種を蒔いてくれる牧場の管理人たちがいらっしゃるから子馬たちが元気にバランスよく育っていきます。
 目の前の曲がり角に戸惑いを感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、思い切ってそこで曲がってみて、新しい風景を見てみてもいいのではないでしょうか? 人生って未知がいっぱいあるからこそ素晴らしいと思います。この先、まだまだ楽しいことがありそうです。

石橋順子 比較日本文化学講座所属 博士後期課程
 3月で修士課程を終え博士課程に進学することになりました。修士課程の2年間は“非常に忙しかった”の一語につきます。専修免許の関係で多くの授業を受講したため体が忙しかったこともありますが、それ以上に新しい学問の世界を知りそこをあちこち探検するのに忙しかったということです。かっこよく言えば「知的探検」に忙しかったと言えるでしょう。というのも私は学部を卒業してからずいぶん時が経っているので何もかもがめずらしかったということもあります。少しプライベートなことをお話しすれば、いまから10年以上も前、夫の転勤に伴い幼い子供とともに4年間ドイツに住みました。そこで大学時代の第2外国語であったドイツ語を学び直しドイツの大学院に入学しましたが、夫の再度の転勤でフランスに住むことになりドイツの大学院はあきらめ、今度は第3外国語であったフランス語を学び直し、フランスの大学院(DEA)に入学しました。しかし4年の滞在の後、日本に帰国となり再び大学院をあきらめました。このときの海外体験は「ドイツの心フランスの心」(中日新聞本社)というエッセーにまとめています。帰国後は高校で英語の教師を続けていましたが、2年前一年発起して本大学大学院の国際言語文化研究科に入学しこのたび懸案の修士課程を卒業することができた次第です。英語の教師をしていた関係で英語の専修免許用の授業も取りましたが、日本言語文化専攻の授業と重なるものがほとんどなく、結果として受講数が増え、修士課程2年目にも3教科がずれこみ、これが修論の作成とあいまってかなり忙しくなった要因です。おかげでさらに視野が広がり充実した2年間になりました。このやり方がよかったかどうかは分かりませんが、両立できないことはないという例にはなったかなと思います。
 さて、修士課程で受講した授業はどれも興味深く知的好奇心を刺激するものでした。とくにコーパスという「電子化された言語資料」に出合ったことは衝撃的でした。文化の講座に属してはいましたが何とかこれを修論にも使ってみたくて冒険も試みました。他にも認知言語論や談話分析などの言語関係の授業も新鮮だったし、漱石など日本の古典や世界情勢などについても議論しました。日言文専攻の学生たちについて言えば、ほとんどの人が2つあるいはそれ以上の文化、言語に精通しています。留学生も多く国籍も多様でその熱心さと日本語の堪能さ、日本語や日本文化への造詣の深さに大いに刺激を受けました。お互いの国の話をしたりお弁当を分け合ったりするのも楽しみの一つでした。文化の違いを知るのも楽しみですが、それ以上に、文化の違いに関わらず真理を求めて切磋琢磨するのはさらに楽しいものです。そういうことができる場がこの研究科には開かれています。今後私自身は博士課程でじっくりと学問の世界が深められればと思っています。

跡部千絵美 日本語教育方法論講座所属 博士後期課程
 名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻に進学し,いろいろな面で,私は変わったと思います。
 学部生のとき,主専攻で国語学を,副専攻で日本語教育を勉強しました。日本語教師を目指していて,学部を卒業した後,大学院に進学することを決めました。しかしどちらかというと日本語教育よりも日本語そのものに興味があり,数ある大学院の中から,自分で調べ,またいろいろな方の意見を参考にして,名古屋大の日言文を受験することに決めました。入試の面接では,後に私の指導教官になる尾崎先生に初めてお話ししながら,「この先生がいらっしゃるこの大学で勉強したい!」と思ったことを覚えています。
 入学してから実感したことですが,日言文の授業を持つ先生方のご専門は多岐にわたっており,授業を通してそれに触れられたことが,自分にとって大きなプラスになっています。当然,院生の専門も多岐にわたっています。博士前期課程のとき同級生と定期的に勉強会をしていたのですが,この勉強会を通してさまざまな分野に自然と興味を持つことができました。
 このような勉強会は,院生の仲がいいからこそできていると言えます。私が日言文に入学してよかったと思うことの1つに,(うまく言葉にできないのですが)“雰囲気がいい”ということがあります。日言文の院生には,さまざまな国籍,年齢の方がいますが,そうした違い,また学年の違いに関わらず仲がいいです。他の院生の研究から勉強になることが多いのはもちろん,人間性の点でも学ぶところが多いと感じています。日言文には,私が“この人を見習いたい”と思うような人が,たくさんいます。
 このような環境にいて,私は変わりました。研究の面でも人間的にも,自分がいかに未熟かを日々実感しています。でも,それがわかったという分,学部時代と比べると成長したと言えます。これからも先生方や院生からさまざまなことを学び,自分の研究を進めるだけでなく,人間的にも成長していけたらと思います。

東 会娟(中国) 日本語教育方法論講座所属 博士後期課程
 2000年10月、私は北京第二外国語大学で二年間日本語を勉強した後、3年生の時に日本文部科学省の奨学生としてはじめて日本(名古屋大学)に留学することとなりました。名古屋大学では日本語・日本文化一年コースに入り、とても充実した日々を過ごすことができました。一年の間、数多くの貴重な体験をすると共に私自身多くの面で成長し、そして多くのことを考えさせられました。同じ日本語の勉強であるにもかかわらず、中国と日本ではどこかが違うと感じていました。周りの環境が大きく異なるので、そう感じることもある意味しかたがないことかもしれません。しかし、大事なのは疑問に思った点で理論的に問題点を見出し、そしてその問題点を解決する方法を身に付けることだと思いました。幸いなことに、こういった考えは今の私の指導教官も賛成して下さり、北京第二外国語大学卒業後、幸運にも名古屋大学留学生センターへの二度目の来日が決まりました。半年間の研究生を経た後、国際言語文化研究科に入学しました。研究や生活に困った時などは、先生方や、日言文の先輩・同級生の皆さんが親身に話を聞いてくださり、暖かく手を差し伸べてもくださいました。そして私にとって何よりおおきなことは、現在指導を受けている研究テーマがまさに私が三年前からやりたかったことであるということです。研究はまだまだこれからが本番なのですが、このようなすばらしい環境に恵まれている以上、やるべきことをやり抜くしかないという意気込みでいます。これからも日本国内外の日本語教育に注目しながら、大学院での研究を頑張っていきたいと思っています。