川上尚恵
1.初級クラスでの問題点
1−1 学習者のレベルの把握
本年度のAETプログラムでは、6月に行ったEメールによる事前アンケートと、7月にAETが来日した後に行ったプレイスメントテストの結果によって、日本語学習経験がほとんどない入門クラス、簡単な会話ができ、ひらがなとカタカナを既習ずみの初級クラス、それ以上の中級クラス、といった3つのクラスを設定した。事前アンケートによって日本語学習経験がないものは入門クラス、来日経験があり学習期間が比較的長期のものは中級クラス、というように容易にクラス分けできるものもいたが、学習時期からブランクがあったり、短期間の学習を何度か行っていたりするなど、レベルの把握が困難な学習者が数名いたので、プレイスメントテストを行うことによって、最終的に3名の学習者を初級クラスに配置した。事前アンケートの時点では、学習歴と来日経験によって3人の初級クラス学習者を予定していたが、プレイスメントテストの結果、当初予定していた3人の内2人が入れ替わり、初級クラスの学習者は以下の3人となった。
表1
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学習者 |
国籍 |
学習歴 |
来日経験 |
| A |
オーストラリア |
9ヶ月間(5時間/週) |
15ヶ月間 |
| B |
アメリカ |
3ヶ月間(5時間/週) |
3週間 |
| C |
アメリカ |
2年(3時間/週) |
7週間(語学研修) |
初級クラスでは、このような学習者のレベルの判断により、初級教科書を中心とした授業の展開を予定していた。しかし、実際に授業を行ってみてわかった学習者のレベルは当初の予定よりも高く、コースの第1日目は第1課の2時間分の授業の予定を1時間で終えてしまった。授業を行ってみてわかった学習者のレベルは、会話力が高く動詞、形容詞の活用を習得済みのA、漢字や文学に興味があるが会話力が低いB、会話力、文章力、ともに高いC、というものだった。3者のレベルからすれば、当初設定していた初級クラスのレベルは、極端に低いものであった。そこで、1日目終了時の初級クラス担当者での話し合いで、クラスのレベルの引き上げを決定した。
1−2.教科書の活用
第1日目終了後、教案の見直しをはかり、クラスのレベルを全体的に上げるように努めた。しかし、最初に教科書をもとにした場面を設定して教案を作成していたので、その場面内で発展させた練習を行うことに困難を極めた。初級用教科書で提示されていた文法事項については簡単なようだったので、文法練習を中心とするのではなく、実際に使える日本語能力を身につけてもらおうという意図により、副教材やプリントを作成し、タスクや発展練習を多く行った。また、ダイアログ自体も簡単だったため、場面設定はそのままでより難しい表現をもりこんだダイアログを教師が板書し、練習を行った。
このような教室活動は必要ではあるが、教科書の活用が不十分であったという点に反省が残る。副教材を使用したり、発展したダイアログを提示することは教科書を活用した上で行うべきものであり、教科書に準拠せずにそのような教材ばかり使用することは、準備に多大な時間がかかるなど実際的ではない。また、教科書があるにもかかわらず、副教材や別のダイアログの練習ばかりを行うということは、学習者が教科書を使用して教室外で予習や復習をすることもできない。本プログラム独自の教科書を作成するからには、学習者のニーズやレディネスを反映した教科書を作成するべきだといえる。
以上のように、初級クラスでは、学習者のレベルの把握と教科書の活用という点において問題が起こった。初級クラスでは、第1日目の反省からレベルをあげることに努めてきたが、結果的には最後まで最初に設定したレベルと場面に引きずられていたと思う。事後アンケートにもそれは表れており、もう少し難しくてもよかったという意見が見られた。夏季実習では教科書を入門用と初級用の2冊を作成するが、場面や文法はほとんど同じであり、レベル分けが厳密にできているとはいい難い。初級クラスに限っていえば、過去の報告書を見ても教科書を活用した授業が行われておらず、それぞれ独自の教材を作成して教室活動を進めている。その理由としては、初級クラスのレベルに初級教科書のレベルが合っていないということがあげられる。それは、2000年度、2001年度の報告でも、事前に設定した初級クラスのレベルが低く、コース開始後に修正を行ったという報告が見られたことからも裏付けられる。学習者のレベルの把握と教科書の活用といった問題が、本年度のみならず毎年共通する問題点だとすれば、初級クラスの設定を早急に解決する必要があるだろう。そこで、以下では過去の報告書と本年度の授業観察により初級クラスの全体的なレベルを把握し、初級用の教科書での文法事項について提案する。
2.初級教科書『はなび』
本プログラムでは、毎年学習者のレベルやニーズを分析し、昨年度の教科書をベースにして他の教科書を参考に改訂を重ねながらオリジナルの教科書を作成している。2000年度までは入門クラスと初級クラスでは同じ教科書を使用していたが、2001年度では、それまで入門・初級クラスで使用していた1冊の教科書をそれぞれのレベルに合ったものに改訂し、入門・初級用の2冊を作成している(注1)
。そこで、2002年度においても昨年度の教科書『ともだち』にならい、入門・初級用の教科書を別に作成し、使用することにした。
入門用『はなび』と初級用『はなび』では、次のような違いがある。(1)入門用にはローマ字表記とひらがな表記を併用するが、初級用ではひらがな表記のみ、(2)初級用では第5課で「いらっしゃる」「お〜になる」などの尊敬語、「もうします」「おります」「お〜する」などの謙譲語を扱う、(3)初級用では自然な会話での表現を多く用いる、という3点である。しかし、それ以外のダイアログや文法項目はほとんど同じであり、第1、2、4、6、8課では、関連語や表現に多少の違いがあるだけで、ダイアログにはほとんど変わりはない。
初級クラスの教科書『はなび』では、第1課の「はい、〜です。」「いいえ、〜じゃありません。」からはじまり、文法としては、イ形容詞、ナ形容詞、動詞の現在肯定形、現在否定形、過去肯定形、現在肯定形までが学習項目としてはいっている。
3.初級クラス学習者のレベル
本年度の初級クラス学習者のレベルを初級教科書『はなび』の文法項目と対照することによって詳しくみていく。ここであげた文法項目は、教科書の内容についてのみの判断である。例えば、Verb過去形については、「たべる」「いく」「のむ」「よむ」「べんきょうする」などの『はなび』にでてくる動詞についてのみの判断である。この判断は、授業観察と担当者2名による授業後のミーティングによって行った。以下で使用した記号については、◎は既習で習得ずみ、○は既習ではあるがまだ習得されていないものがある、△は知識としてあるが使用できない、×は未習、−はその時間に欠席しており判断不能とする。
表2
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学習者A |
学習者B |
学習者C |
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| です/ですか はい、Nです いいえ、Nじゃありません N1のN2 こ/そ/あ Verb過去形 I−adjective I−adjective過去形 Adjective−の Na−adjective −んです なん− honorific form(お〜なる) humble form(お〜する) V−たいです V−ませんか (Sentence1)ので(Sentence1) |
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◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ − − − ◎ − ◎ △ △ − ◎ △ |
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◎ ◎ ◎ ○ ◎ ◎ ○ △ × ◎ ○ ◎ × × × ○ ○ |
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◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ○ △ ◎ ◎ ◎ △ △ △ ◎ ○ |
4.初級教科書の改訂案
以上のことから、初級クラスの学習者のレベルに対して、本年度の初級教科書『はなび』のレベルは全体的に低く、クラスに合った教科書ではないといえるだろう。事後アンケートの結果からも、学習者からは「もう少し難しくてもよい」「もっと難しい文法や漢字を教えてほしかった」というように、レベルの高い授業を求められた。授業を行ったものとしても、学習者のレベルにして文法項目は簡単すぎたいう印象が残る。このような学習者のレベルと初級教科書のレベルの相違を解消するためには、初級教科書の大幅な改訂が必要である。
初級教科書『はなび』では、「自己紹介」「注文」「買い物」「道きき」「電話」「不調をうったえる」「手紙」「誘い」という場面シラバスを中心にして文法シラバスもとりいれている。しかし、初級クラスの学習者はこれらの場面での表現のほとんどをすでに知っており、全体的にダイアログが簡単すぎた。過去に本プログラムをうけ、1年以上名古屋滞在しているAETを対象に行った1年後アンケートの結果
(注2)からは、日常的に日本語を使う場面としては、上記の場面内でも、「タクシーにのって行き先をいう」「レストランでメニューについて質問する/苦情をいう」などというようにより日本語能力が必要とされる場面があがっていた。場面シラバスをとり、従来の教科書と同様の場面を設定するにしても、「道きき」では「人に道をきく」という場面よりもさらにレベルの高い「タクシーに乗って運転手に道を説明する」という場面にする、というように、より日本語能力が必要とされる場面の展開が考えられる。
次に、初級クラスに適した文法項目については、初級クラスの学習者のレベルとしては、Verbの活用レベルから問題があった。そこで、Verbはて形とます形の活用を基本として導入して、「V−てください」「V−てもいいです/てはいけません」「V−ている」「V−たいです」「V−ませんか」などの表現形式を広くとりいれるとよいだろう。表現形式としては、AETの生活での必要性の高いものとしては、「依頼」「禁止」「意思・願望」「可能」などが考えられる。また、「(Sentence1)ので(Sentence1)」は、前件と後件のつながりの理解に時間がかかったが、単文にはある程度なれているので「(Sentence1)ので(Sentence1)」のように、複文の構造をもった文法項目をとりいれてもよいだろう。また、honorific
formやhumble formは、学習者からの評判もよく、学校で実際に使うと考えられるので、そのまま学習項目として残してよいだろう。
5.おわりに
教科書を作成する場合、本来ならば学習者のニーズ分析やレディネスといったものを把握した上で行うべきである。しかし、本プログラムでは、AET来日の時期がコース開始前の1ヶ月〜2週間前であり、教科書の改訂作業をプレイスメント前に行わなければならないという事情もあり、学習者のレベルを把握して教科書を生かすことが難しい。また、本プログラムように短期間のインテンシブなコースでは、コース期間中に改訂を加えていくことは時間的に難しいということもある。しかし、毎年違った学習者がプログラムに参加するといっても、その目的はAETとして日本で一定期間生活するものというように、学習者のニーズやレディネスはある程度は同様の傾向にあるといってよいだろう。その利点を活かして、過去のプログラムの反省を次年度への参考とすることは可能である。本稿での提案が次年度での初級クラス運営に少しでも役立てると幸いである。
参考文献
小室輝代「レベル分けの基準−各レベルの到達目標と学習項目の再考−」名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻1999年度日本語教育実習報告レポート
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~mohso/jisshu99/kaki/keteruyo.html
名古屋大学大学院国際言語文化研究科日本言語文化専攻2001年度日本語教育実習報告夏季教育実習
http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~mohso/jisshu01/
注
1 その理由としては、文法項目や表現や表記が入門用としては難しく、初級用としては少し簡単であったからとしている。
2 2002年度夏期AET日本語教育実習報告書「1年後アンケート」参照