平成8年から9年にかけて英国マンチェスター大学で在外研究をさせていただいた。わたしの専門はヴィクトリア朝の小説家、特にディケンズ、ギャスケル、ギッシング、ブロンテ姉妹などであるが、今回はディケンズのロンドンではなく、ギャスケルのマンチェスターを選んだ。ロンドンもマンチェスターも、道路は排気ガスと散乱したゴミとで、お世辞にも美しいとは言えない。はっきり言うと汚い。大人でも食べながら歩いて、平気でぽいっとゴミを捨てる。それに比べると日本の道路はまだ美しい。しかし、それは視線を下に向けた場合の話である。下から上に向けると、至る所にヴィクトリア朝時代の遺産である立派なゴシック建築物が陸続と目に入ってきて、思わずつばを飲みこんで見とれてしまう。マンチェスター大学の正門はまるでお城のようだった。鶴舞にある名古屋◯◯大学の無機質な新しい正門(名大には正門らしきものがないので失礼します)とは大違いである。母校に対する愛情は、何か視覚(味覚や臭覚でもいいが)に残る強烈なものがなければ、卒業と同時に薄れてしまうのではなかろうか?その意味で、卒業後に言語文化部の建物を思い出すことができる人は、よほど記憶力がいいのか、語学の授業で精神的外傷を受けたのか、そのどちらかであろう。
ギャスケル夫人 (1810-65) は産業革命後に繁栄した大都市が抱える社会問題と、繁栄に付随する屈折した人間の心理をリアルに描いているが、その根底には牧師の妻としてのキリスト教精神が常に流れている。彼女に自分の雑誌への寄稿を要請していた当時の流行作家ディケンズに比べると、彼女の知名度はずっと低いものの、最近ではじわじわと国内外で評価が高まっている。120名の会員を抱える日本ギャスケル協会は、現在その主要作品の翻訳を準備しており、私も短編集の翻訳を手がけている。
在外研究の場としてマンチェスターを選んだ理由は、そこにギャスケル夫人関連の資料が多いことと、街を歩くことで彼女の作品の舞台を追体験できることであった。彼女が長く住んでいた家は、現在マンチェスター大学留学生協会の本部として使われている。英国ギャスケル協会の会員の半分近くが、この都市とその近郊に住んでいたこともまた、ギャスケル夫人のホームページを充実させるための協力を得るには好都合であった。わたしは彼女の全作品を電子化してマンチェスターに行ったが、それは遠い異国の人が城山三朗を研究するために名古屋に来るようなもので、かの地の人に奇異な感じを与えたようである。
日本の学会(特に英米文学関係)の会員は大半が大学の先生であるが、イギリスの場合はいわゆる「高齢市民 (senior citizens)」と呼ばれる人たち(ゆめゆめ「老人 (old people)」と呼び給ふな!)のパワーがものすごい。イギリス人は有名人の伝記が大好きな国民だが、普通の主婦が立派な伝記を著わすことがよくある。700ページの大著『エリザベス・ギャスケル伝』を出版したジェニー・ユグローという人も、4人の子供を育て上げた普通の主婦(もっともオックスフォード大の出身だが)で、他にも多数の著書がある。牧師の妻でありながら多くの作品を書いたギャスケル夫人や、小説だけで約80冊も書いた(もっとも出版業者の妻だが)メアリ・ブラッドン (1837-1915) などを見ても分かるように、イギリスにはスーパー・ウーマンが育ちやすい下地が昔からあるようだ。
マンチェスター滞在中に、二年に一回のギャスケル・カンファレンスがチェスターという都市で開かれたので、参加してみた。チェスターは今もローマ軍の造った壁をめぐらしており、名前の語源は文字どおり「要塞の町 (fortified town)」である。残念ながらマン「チェスター」にはそういった昔の要塞はなかった。さて、ギャスケル・カンファレンスもまた、参加者の半分はギャスケル夫人とその作品に魅了された普通の愛好家たちであった。そして、高齢市民の参加が多いからであろうか、4泊5日のロングランである。これはギャスケル夫人だけではなく、ブロンテ姉妹をはじめ他の作家の学会でも同じだ。日本のように1日か2日でさっと終わることはない。朝、昼、晩にそれぞれ研究発表が一つずつあった。発表は主に大学の先生がするのだが、日本のようにハンドアウトを配ったり、原稿をひたすら読むのではなく、大学で講議を受けているような感じである。とはいえ、聴衆の中には毎年ギャスケル夫人の全作品を読破することを生き甲斐にしているような老人(失礼!高齢市民)がおられ、発表者が作品の筋や登場人物の名前を間違えたりすると間髪いれず訂正したり、うんちくに富む解釈でやりこめたりすることがある。また、発表中ずっと死んだように眠っていて、終わると同時に素晴らしい内容だったと言わんばかりに頷きながら、ティーへと急がれる方も何人かおられた。
研究発表の合間には何度もティーの時間があり、夜は懇親のための静かなパーティーがある。そして、日程の中には必ずエクスカーションが組み込まれていて、みんなバスに乗って作家ゆかりの地を見てまわる。とにかく、すべてが高齢市民のために大河のようにゆったりと流れていく。英国では本当に老人の姿を、学会(あるいはパブ)をはじめ公共の場の至る所で目にする。世界一の長寿国、日本の方がずっと老人は多いはずなのだが、あまり老人を老人以外の集団の中で見かけないのは、わたしだけであろうか。国民的気質の違いと言ってしまえばそれまでだが、好むと好まざるとにかかわらず、これから半世紀は日本も老人中心の社会になるのだから、老人の気質も変わっていくだろう。
マンチェスターを選んだ別の理由として、イングランド・プレミアリーグの名門マンチェスター・ユーナイティッドの試合を、過激なフーリガンで有名なオールド・トラフォードで観戦することがあった。ほとんどのスポーツはイギリスを発祥の地としているが、その中でもサッカー(正式にはフットボール)の人気が異常に高いのは、日米以外の国々の場合と同断である。イタリア・セリアAを選んだ中田英寿が敬遠したイングランド・プレミアリーグは20チームで構成され、その格闘技的な当たりの激しさを特徴とする。マンチェスター・ユーナイティッドは優勝回数で群を抜いており、市民の精神的な支えとなっているが、熱狂的なファンの多くは職のない若者で、試合に負けた日など、たちまちフーリガンとなって市内の至る所で荒れ狂う。それを取り締まる騎馬隊の中に、悔い改めた昔のフーリガンが多くいるというのは面白い。フーリガンの気持ちと居場所はフーリンガンが一番よく分かるのだろう。わたしも苦労してプラチナ・チケットを手に入れ、かつて名古屋グランパスエイトの監督だったベンゲル率いるアストン・ヴィラとの試合を一度だけ観に行った。5万5千人収容のオールド・トラフォードは瑞穂よりずっとコンパクトなスタジアムで、サイドラインと観客席の距離がほとんどなく、どちらかと言えば劇場のようだった。ハーフ・タイムに観客が一斉にトイレに行き、ビター(ホップの効いた苦みの強いビール)を飲むのも、どことなく劇場を思わせる。とにかく座席が狭くて、たとえトイレに行きたくなっても試合中に移動するのは不可能であり、途中で IRA(アイルランド共和国軍)の爆弾予告などがあれば、大パニックになるのではないかと不安になったほどである。
マンチェスター・ユーナイティッドの主スポンサーは日本のシャープであり、ユニフォームの胸にも観客席にも大きなロゴマークが見られた。わたしが滞英中に、マンチェスター・ユーナイティッドは日本を訪問し、浦和レッズ(マンチェスターも赤のユニフォームで、「レッド・デヴィルズ」と呼ばれている)とシャープ・カップを戦っていた。(平成11年11月30日(火)には、トヨタカップでマンチェスター・ユナイテッドはパルメイラスと東京・国立競技場で戦う予定。)以前、浦和の小野伸二を狙っていると報道されたが、今年の6月にはペルージャに中田の移籍金として約40億円を申し出て、ガウチ会長をにんまりさせたそうなので、来期には日本人初のプレミアリーグ選手が生まれるかもしれない。もう一つのマンチェスターのサッカー・チーム、マンチェスター・シティーの主スポンサーは名古屋のブラザーである。この地でブラザーが主に生産して儲けているのは、ミシンではなくカラオケであった。その他、マンチェスターには多くの日本企業が進出していて、今は不況でそうでもないかもしれないが、昔は文字どおり「日本が咳をすればマンチェスターが風邪を引く」と言われていたそうだ。
ご存じのように、マンチェスターは産業革命発祥の地で、かつては世界の綿工業の中心地だった。旧市街地の人口は50万だが、多数の衛星都市を持つグレーター・マンチェスターは250万を越える。綿織物で財をなしたジョン・オーウェンズの遺産で1851年にできたオーウェンズ・カレッジが、現在のマンチェスター大の前身である。小説家ギッシングはオーウェンズ・カレッジ時代に、ある貧しい街の女を助けようと大学の更衣室で友人のポケットから金を盗み、放校処分を受けてアメリカに渡ったという逸話がある。
イギリス三大大学図書館の一つ、ジョン・ライランズ図書館もまた同名の大商人の遺産で建てられたもので、360万冊の書籍と100万部の原稿を蔵している。そして、マンチェスター大学はコンピュータ発祥の地だけあって、コンピュータ関係は名大より充実していた。キャンパス内には学生用に7000台のパソコンがあるという。わたしが所属していた文学部には大学院生専用(端末10台)、学部生専用のウィンドウズの部屋二つ(それぞれ20台)、マッキントッシュの部屋(10台)があった。圧巻だったのは図書館の二階がすべて学生の使うコンピュータ専用に充てられていて、約300台の端末に学生が群がっていたことだ。すべてワープロとウェッブはできたが、電子メールができる端末は30台ほどに限定されていて、そこにはいつも長蛇の列ができていた。このように図書館のワンフロアーをコンピュータに充てるのは、前に一ヶ月だけ過ごしたロンドン大キングス校でもそうであったように、イギリスの大学の最近の傾向であるようだ。図書館のデータベースの検索は名大図書館と同様にウェッブ上でできたが、感動したのは図書館のホームページにアクセスして自分の学籍番号を入れると、借りている本がリストアップされるだけでなく、クリックするだけで貸出期間を更新できるようになっていたことだ。もちろん貸出中の本の予約も、このように図書館に行かずにできる。あとは宅配制度だけだ。
オックスブリッジ以外の学生は総じて裕福ではないので、本は買うものではなく借りるものだという固定観念がある。学生の勉学意欲とは別に、大学図書館の利用頻度が日本の場合と根本的に違う理由はここにある。名大図書館の貸出カウンターは一つだが、マンチェスターの場合は七つもあった。図書館の蔵書量も多い。名大図書館は英米文学関連の充実度で全国トップクラスにあるが、マンチェスターをはじめイギリス主要大学の充実度は国文学ということもあってか、ただただ感嘆させられるばかりであった。その一方で、全集や雑誌の一部が欠けていたり、線引きや書き込みがあったり、数ページにわたってカッターで切り取られているのを目にした時は、悲しい気持ちになった。イギリスの場合も、従来のポリテクニック(大学レベルの総合技術専門学校)が1992年に大学に昇格して以来、大学生全体のレヴェルが低下したと言われる。これは逆に言えば国民全体が裕福になった証拠であるし、国民総白痴化という世の中の趨勢として、仕方のないことかもしれない。しかし、学力の低下はともかく、モラルの低下はいただけない。日本でも、子供の教育においては、学力を高めることより、モラルを高めることの方がずっと難しい。であれば、このような世の中を改善するためにも、人間を評価する場合、その基準は能力とモラルの割合が同じでなければならないはずだ。そんなことは分かっていると誰もが思う。では、なぜそうならないのか、何がそうさせないのか。どうして我々は自己欺瞞に陥ってしまうのか。これは言語や文化の違いを越えて、世界のすべての国民に共通する難問である。
* マンチェスターで撮った写真を "The Manchester Web" というサイトで公開していますので、関心のある方は御覧ください。http://www.lang.nagoya-u.ac.jp/~matsuoka/Manchester.html
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