大学院テキストと資料

離婚(絆をほどいて)
図像文化と法制史からの
アプローチ

2008年07月11日 更新

1.ミルトン離婚論の概要  論敵からの指弾 資料1 資料2
2.友愛から友婚愛へ 2.1 同性友愛のなかの夫婦愛     テキスト印刷版を希望者に配布します。
授業中に申し出てください。
資料1
2.2. 神愛のなかの夫婦愛
2.3. 友婚愛の誕生 PowerPoint
3.四離婚論を読む 第一離婚論:『教義と規律』 ワークシート:漸次増えていきます。毎回、このアイコンをクリックしてください。
(序文残り)[11月6日21時更新]

(1巻1章冒頭)[11月9日06時更新]

(1巻1章途中−4章末)[11月13日17時更新]

5-6章[11月29日08時更新]

7-8章[12月5日12時更新]

9-10章[12月14日07時再更新]

11章[12月20日10時更新]

1巻12章_2巻11章[01月09日午後5時更新]

献辞
序文-1章

1章-4章

5-8章


第二離婚論『判断』 19章、28章、38章を読み、ミルトンの自説と一致している箇所を抜き書きしなさい。[01月16日午後5時更新]

予習をきちんとやってくるのは、講義の単位修得のための必要条件です。念のため。
た11月30日に10月初回講義分からのクイズを行います。

■講演会はみんなが出席してくれたおかげで、とても有意義なものとなりました。ありがとうございました。

■バルセロナ大学教授による講演会:11月10日(金)午後5時
 通訳付きですから、安心して参加してください。
 終了後に食事に行きます。こちらもふるってご参加下さい。
(食事代は、留学生300円、院生800円を予定しています)

■7月14日は2.3の「テキスト前半」を読んでおいて下さい。

■7月9日はクイズです。2.1の「矯正院」と2.2全体が範囲です。

■6月30日(金) ビデオ「わが命つきるとも」を鑑賞します。
ヘンリー8世の離婚問題をめぐって物語は進みます。
教室は 同じ1階の大学院演習室(北)、元の教室です。
 序説 1. カトリックとプロテスタント その1
  カトリックとプロテスタント その2(英国国教会)
2. 17世紀イングランドとニューイングランド
3. 世俗化、啓蒙主義、フランス革命その1
  フランス革命(1792年離婚法)その2
4. 近代初期の社会における正式の離婚と非公式の離婚
5. 結婚挫折の意味とその文脈
6. 19世紀:自由主義とその反動 (1)
                  続き (2)
7. 社会問題としての離婚:1850年-1914年
                      改定版
8. 20世紀と大量離婚の勃興 (1)
                続き(2)
                続き(3)

9. 離婚増加をどう説明するか:1870年代-1990年代
10. 『見たくない現実を見る』 11. 山田昌弘『近代家族のゆくえ』

2007年度の授業メッセージ

ワークシートは必ず授業前にやっておいてください。

統治制度について:
物にたいする人間のかかわり方は、(1)所有、(2)占有、(3)所持の三つがある。何かを持っていることはすべて(3)である。しかし自分がその何かを持っているということが、即(1)(2)の権利を有していることにはならない。王制ないし共和制においては、(1)の権利を有するのは王ないしは共和国であり、個人は(1)をもっていない。だから王・共和国にたいして、個人は地代や税といった支払い義務が生じる。きちんと支払っている個人には(2)が権利として確保される。

だから王制では、統治権力者があらゆるものの所有権をもち、臣民・臣下はそれを占有ないしは所持しているにすぎない。貴族制になると所有権は貴族にあることになる。民主制においては、国民が被統治の権利を付託した国家と個々人とがそれぞれ所有権を持つことになる。ところが民主制に名を借りて一部の人間が国家権力を握り、その人間たちだけに所有権が集中するのが少数統治制である。これらの統治制度に対して、特権的な統治権力(王、貴族、民衆)を想定することがそもそもの誤りであり、統治権力が不在のまま人間を放置しても、人間同士うまくやっていけるというのが無政府主義(厳密には無統治制度)である。

理解の深化:
交換可能性・共感可能性のダイナミックスを理解しないと、「離婚問題」はたんなる道徳の歴史の一主題に堕してしまいます。理解を深めるために、Phillipsの解説終了後に、金子勝・大澤真幸『共同取材 見たくない思想的現実を見る』(岩波書店, 2002)第一章を読みます(加野さんに感謝)。
また、社会学的な発想を取り入れるために、山田昌弘『近代家族のゆくえ』(新曜社)も読みます。準備しておいて下さい。

資料訂正:
スウェーデン王はシャルル14世ではなくカール14世ヨハンが正しい表記です。(児玉さんに感謝)

訂正資料:自由主義のその反動

1884ナケ法Naquetが成立。当時のフランスは第三共和制(1870-1940)。その内容はほぼナポレオン法典の復活ともいえるが、ただし双方の合意条項が削除された。当時普仏戦争(1870年)ではフランスの敗北に終わり、国力は人口数に比例すると当時は考えられていたので、人口を増やすような政策が待望された。ナケが法案を支持する理由としてあげたのは、
(1)
離婚が認められるようになっても、それは現行の別居数3000件を上回ることはない、

(2)
離婚が認められていた1802年における、結婚数を分母とし離婚数を分子した比率と、離婚が禁じられている80年代における、結婚数を分母とし別居数を分子した比率でみると、後者は前者にたいして22倍大きいこと、

(3)離婚に関係する変数としては、宗教、民族、社会経済身分、時代などであって法との関わりは薄いということであった。

なおナケ法を支持するイメージと機能したのが、
1840年代初頭に起こったラフォルグ事件である。結婚の契約を結ぶ際にお金持ちだと偽った夫に対する妻ラフォルグは、鼠入らず用としての砒素を使い、夫を毒殺したとされる事件と公判である。有罪判決を夫人は受けるが、国王による減免によって、事実上の刑罰は受けなかった。



参考資料:
Thomas Hall判決
ウォーウィック巡回裁判所モーリー判事Mr. Justice Mauleによる
判決文
(1845)

刑事被告人よ、妻が生存している期間に二度の婚姻の儀式を行うという、法によってきわめて重大な罪とされている件で判決を本法廷において受ける。被告人はその抗弁において、妻は放蕩で酩酊気味であり、家庭の女主人でありながらも家庭の呪いの存在であり、しかも最近において夫を遺棄したとして、減刑を求めている。しかし判事として、そのような主張を認めることはできない。

正式な取り決めによって、幸いの時も不幸の時も妻として娶り、被告人の場合に見られるように、たとえ不幸な時をかぎりなく持つことがあるとしても、忍耐強く甘受するのが義務である。被告人が申し述べるところでは、何人もの子供が自分の手許に残されたので別な女性を自分の妻としたのだというが……法律では、大家族だからといって重婚を許可してはいない。別な女性を妾として住まわせるのであったなら、法が干渉することもなかったであろう。さて被告人の罪は、被告人自身の言葉を使えば、「この女性を貞淑な女としたかった」ことにある。

被告人の理にかなわない言い訳として、妻が不倫を犯したので、妻としてもはやこれ以上考慮するには及ばないと判断したというものがあるが、これは誤っている。法は賢明にも、もしも夫の名誉を傷つけた場合には妻との婚姻関係継続義務を免除する手段を提供している。にもかかわらず被告人は、その手段をとるのは適切ではないと判断した。それがどういう手続きなのかを被告人に説明する。

第一に、妻を誘惑した男性を発見した場合には、その男性を訴える。訴訟費用がかかり、被告人は貧乏な労働者であると申し述べているが、それは法が悪いのではない。つぎに、裁判所において妻の犯罪を証拠によって証明する義務がある。裁判では被告人が貧乏人だと判明することがなきにしもあらずだが、裁判所は、被告人が支払う損害賠償の判決を下す。

ただし法とは、ここをしっかりとわかってもらう必要があるのだが、完成された理性なのであるから、法は婚姻の聖性についてはきわめて用心深く、以上のことをしたとしても夫としての義務のうちほんの軽微なことをしたにすぎない。

さて判決書を手にして、今度は貴族院に行き、離婚申立書を提出しなくてはならない。費用はおそらく500ポンドから600ポンドかかるが、財産がたとえペンス単位しかないとしてもである。法が誇りとしているのはかたよりのないことであるから、法は金持ちにも貧乏人にも差別はしない。イングランド王国で最高の富者ですらも、貧乏人と同じく贅沢をすればそれだけの額を支払わなくてはならないのだから、異議をとなえる筋合いはない。

当然のことであるが、議会において再度、訴えを立証し、一年後、場合によっては二年後に、離婚を手に入れ、ここで被告人が手を入れずに行なってもよいと考えていたことを、そのときになってはじめて合法的に行うことができるのだ。

以上、被告人は法が提供していた恩恵を意図的に拒絶していたのであるから、その罪にふさわしいと判断される判決を被告人に言い渡すのが、判事である私の義務である。判決。一日間の懲役、ただし巡回裁判開廷は本日が三日目であるので、被告人は即刻放免。


O. R. MCGREGOR. Divorce in England (London, 1957) 15-17 quoted in Phillips Putting Asunder, 416-417.
注 [離婚訴訟は巡回裁判所が行った]
謝辞 判決文の用語について田中実先生からご示唆をえました。