1.
荒川洋治は様々な意味で重要な現代詩人である。彼について吉本隆明は「こ
の詩人は多分若い現代詩の暗喩の意味をかえた最初の、最大の詩人である」と称賛し、北川透は「荒川洋治が出現するまで、詩人はもう少し偉大だった、荒川洋
治のおしゃべりがはじまるまで、詩人の語口はもう少し貴族的だった」とこき下ろし、鮎川信夫は「僕は目に止まれば荒川さんの詩は必ず読む。いつも読者に対
する挑戦を感じる。それに一つの詩集を見ると、必ずや一つ二つ自然に出来たいい詩がある。そういう人がいなくなっちゃったからね。そういう意味では独走態
勢じゃないかな」と座談会で肯定的に語っている。(注1)
好むと好まざるとにかかわらず荒川が無視できない現代詩人であることは間違いない。
詩を書き、詩を論ずる者の多くが大学教官であるいう現状の中、荒川洋治は
詩をビジネスにしているという点で特筆できる。彼は詩人として世に出て名前を売る一方、新聞雑誌で雑文時評をこなし、非常勤で大学で教え、ラジオのパ−ソ
ナリティ−として一般に知られ、テレビのコマ−シャルに出演し、同時に、紫陽社という詩を専門にする出版社を経営して新人の発掘にも積極的に動いている。
詩でデビュ−した作家が小説にすすむ例は、遠くは島崎藤村、石川啄木、最近では富岡多恵子、ねじめ正一などが見られるが、何れも出版社に文章を売るという
形式に根本的な変化がないのに対し、荒川洋治の場合、自らが詩を売る媒体になるという点で際立っている。19世紀的なやり方で詩人として歴史に名を残すこ
とは高度資本主義社会では出来ない。マ−ケットに媚びているという批判が出てくるのは当然予想できるが、マ−ケットを完全に無視して生きられる人はいな
い。詩以外の分野でも名を売りつつ詩を書き続けるという荒川洋治のやり方は一つの効果的な方法であると考えられる。
2.
荒川洋治の詩人としての出発は60年代の後半に遡る。以降出版された作品
も多いし、文体も様々な変遷を経て来ている。この小論では彼の詩人としての仕事の全貌を扱うことは出来ない。彼の処女作である『娼婦論』と1976年にH
氏賞を受賞した『水駅』に限定して論じることにする。これら二つの詩集は、前者が1971年、後者が1975年に出版されたので、両者の間に数年の開きが
存在する。しかし、実際の詩の初出時期はそれほどかけ離れていないし、収録された詩のテ−マ、文体には共通点が多い。
この二つの詩集の最大の特徴はことばが難解な点である。一読すれば明白な
ので説明する必要がないと考えられるが、大岡信は「現代詩手帖」の座談会で次の様に述べている。
あれはH氏賞をもらっていて、H氏賞をだすということは十数人の既成詩人 が検討していいと認めたわけなんだけど、素朴な感想を言えば、選考に当った年長詩人諸氏は、この詩集を読んでわかったのかいなと気になってるんですけど ね。とくにあの詩集のはじめのほうの何篇かの詩は、僕にはとてもわからない。(注2)
全く同感である。大岡の意見は私を含め殆どの読者の偽らざる感想を代弁していると考えて問題がない。しかし、不思議なことに、この座談会ではその後荒川の
難解な詩の内容をめぐって具体的な意見が交換されるということはなく、抽象的かつ曖昧な意見の応酬に流れていった。座談会という性質上無理からぬことなの
かもしれないが、何故こうなってしまうのだろう。一体、読者は詩の意味に興味を持っているのだろうか?
そうとも言えるし、そうとも言えない。詩というものは理解できなくても楽
しめるし、評価できる。理解不能のわらべうたが伝承されていくのと同じ理屈で難解な詩も歴史にその痕跡を留めていく。ただ、難解な詩が殆ど解釈されずに終
わってしまうのは問題だろう。私の調べた限りでは、荒川洋治の『娼婦論』や『水駅』の解釈は存在しないに等しい。「詩論」と呼ばれる文章は存在するが、論
じられている詩に輪をかけて難解(抽象曖昧的)になっていることが普通だ。本論は、主に『娼婦論』を中心に、詩の意味を解釈することを目的にする。発表さ
れてから30年近く経った詩を読み解いたところでどの程度の数の読者に興味を持ってもらえるかわからない。それに難解過ぎて全くお手上げの詩も多いので先
鞭をつけるくらいのことしか出来ない。
難解な詩が存在する場合、その意味を一番正確に把握しているのが作者自身
であることは疑いえない。だから、詩の意味を知りたければ作者に尋ねるのが早道である。しかし、これは通常なされない。何故なら、詩人の優位性が詩の意味
を謎にしておくことによって保たれているからだ。自作品の意味は人生の秘密のようなものだから、永遠に秘密にしておきたいと考える詩人は多いはずだ。それ
に、人が詩人に向かって自作の解説を求めないことの一番大きな理由は、おそらく、詩の素材が言葉であり解説するのも同じ言葉であるという点だろう。作曲家
や美術家の中には自作品を言葉を使って解説することに躊躇しない人が多い。幾ら言葉を尽くしても自作品の独立性が侵害されないという確信を持っているから
だ。しかし、詩人の場合、苦心して言葉をつかって書いた作品を、それより密度の薄い言葉で解説するのは自分自身に対する裏切りにも近いと感じる人が多いは
ずだ。以上のような理由で、本論は詩人荒川洋治の助けを全く借りていない。幸か不幸か、私は、荒川洋治については思潮社の現代詩文庫で読んだ作品を通して
しか知らない。ラジオのパ−ソナリティとしての活躍も名古屋に住んでい
るので判らない。したがって、以下の解釈は全く的外れの可能性も少なからずある。
周知のように、最近数年の間に猛烈な勢いでインタ−ネットが普及している。難解な詩の解読という分野に於ても、ネット上での共同作業という形を取るのが一
番効果的だろう。本論は荒川洋治の初期の難解な作品を読み解く一つの試みに過ぎない。私の家頁(http://www.lang.nagoya-
u.ac.jp/~wakui/
)に置いておくので、コメントをもらえるとありがたい。
3.
荒川洋治は1971年22歳の時に詩集『娼婦論』を自費出版した。翌年、
それを早稲田大学の文芸科の卒論として提出し、同大学の小野梓芸術賞を受賞している。一読するだけでその早熟ぶりが窺える作品で、森鴎外の絶賛した石川琢
木が思い出される。啄木が20歳になるかならない頃に出した『あこがれ』もその早熟な修辞的習熟が既成詩壇の注目するところとなった。『娼婦論』は荒川の
30代の作品であったならそれほど話題にならなかったかもしれない。詩という分野では早熟は大きく評価される。30代を過ぎてなら鼻持ちならないと裁断さ
れる晦渋趣味も20代なら早熟として肯定的に受け止められることが多いようだ。
まず、『娼婦論』と『水駅』に共通するモチ−フとして際立っているのが、
地理/地図をめぐる思弁であり、異国情緒を撒き散らしながら旧共産圏である中央アジア、東欧、中国を旅する話者である。両詩集が出版されたのは、まだ、ゴ
ルバチェフのグラスノスもケ小平の近代化路線も登場していない頃で、西側自由主義圏の属する日本としては一般人が自由に旅行できる国々ではなかった。左翼
政党の政治家ならまだしも、大学を卒業したばかりの荒川洋治のような半失業者には無理な相談だった。だからこそ、話者の旅行は地図上のものとなり、空想的
世界の出来事となる。
「北ドビナ川の流れはコトラスの市からスコナ川となり史実のうすまった方 位にその訛をたかめている。」(「キルギス錐情」、『娼婦論』)「おおいなる受動の平原、オルドスへ。まよこから、動輪の紅い配色をうけて黄いろくまきと られる風は、いつしかこの国のあたらしい筋肉にまぶされるのだ。」(「北京発包頭経由蘭州行き」、『水駅』)
しかし、何故、共産圏なのか?それはプロレタリア文学の理論家青野季吉が詩に登場することと無関係ではない。
青野季吉は一九五八年五月、このモルダビアの水の駅を発った。その朝も彼 は詩人ではなかった。沈むこの邦国を背に、思わず彼を紀念したものは、茜色の寒さではなく、、、(「水駅」、『水駅』)
話者の旅行が空想の産物だとしてもこの青野季吉のモルダビア訪問は史実に基づいている。ただ、荒川が『娼婦論』と『水駅』の中で実在の人名を使う場合、新
聞や歴史の記述のようでもなく、また、歴史物語風でもなく周りの詩と同じレベルにある。例えば、詩集『水駅』は次のように締めくくられる。
真山
青果全集第二巻
そのかるいしめり
与えよかし、しずかな鳥に
「真山」で行換えするということは、真山青果という固有名詞を分割して、実在した人物である真山青果ではないものに変換するということだ。「真山」は真山
青果ではない真山という名字なのかもしれないし、普通名詞なのかもしれない。そのような変換の後では、その固有名詞を含んだ歴史は重要でなくなっている。
青野季吉についても同様だ。彼がソ連で共産主義経済の実態を視察して得た知見は荒川にとってはどうでもよい。青野季吉や真山青果は詩の中で小道具として使
われているにすぎない。
旧共産圏の辺境はタシュケントにせよ、ウイグル自治区にせよ、モルドビア
にせよ、共産圏としてではなく、異国情緒あふれた場所、半世紀にも満たない共産主義政権を越えた超歴史的な場所としてあらわれる。そのような詩の文脈の中
では青野季吉の共産主義思想も異国情緒を醸し出す過去の遺物でしかない。荒川の詩は社会リアリズム批評にかかれば、ブルジョワ前衛の堕落の見本にされてし
まいかねない駄作であるに違いないが、高度成長期の日本から見れば共産主義の思想やプロリタリア文学というもの自体が異国情緒あふれた過去の遺産にすぎな
いという視点を示している。
荒川洋治は『ヒロイン』(1986)という詩集に収められた「夜明け前」 という詩を次のように始めている。
趣味だ/ぼくはプロレタリア文学を/娯楽で読むのでございます/と 書く と/ 津田孝さんあたりからひんしゅくを買うかもしれない/だが半世紀前の/プロレタリアの作品を/読み返す人など/五万人に一人もいないとすれば/趣味 で読むことは/いま/たましいで読むことと変わりがあろうか
『娼婦論』や『水駅』と『ヒロイン』の間には十数年の開きがある。「夜明け前」の話者は荒川自身に相違なく、大学を卒業して詩壇に華々しくデビュ−したの
はよいが世過ぎのための売文生活に入った自分を半ば憐れみを持って眺めている。だから、そのような話者は半世紀前のプロレタリア文学に共感を持たない訳で
はない。『水駅』で見せた青野季吉を異国趣味の道具に仕立て上げてしまう突き放しとは明らかに違う。ただ、どちらにしても、プロレタリア文学から半世紀が
経ってしまったことには変わりなく、隔世の感を持って眺めていることにも変わりはない。
4.
荒川洋治はコピ−ライタ−的素質を持った詩人である。彼の作品を綿密に読んだことがない人でも、「口語の時代はさむい」(『水駅』)とか「あたらしいぞわ
たしは」(『あたらしいぞわたしは』)など、耳にしたことがある人も多いだろう。『水駅』に収められた詩行の中で、そのような広告コピ−的な忘れ難い印象
を残すものを挙げるとすると、次の一行を漏らすことは出来ない。
世代の興奮は去った。ランベルト正積方位図法のなかでわたしは感覚する。「楽章」(『水駅』)
「世代の興奮は去った。」というのは、60年代に日本が経験した社会的混乱/興奮状態が沈静したという事態を指しているだろう。60年の安保闘争を頂点と
して60年代後半には大学紛争が激化し、69年には安田講堂が機動隊に落ちた。現時点(1998年)から振り返ってみるならば自民党独裁は持続したし、日
本の政治形態に根本的な変化は起こらず、左翼活動家の多くは高度経済成長を支える企業戦士に変貌して行っただけのことだったが、この時期の社会の高揚が文
化活動に大きな刺激を与えたことは疑いない。「ランベルト正積方位図法のなかでわたしは感覚する」というのは、実際に経験できない空想の世界を自分は選ぶ
という意思表明であると考えられる。逃避ではなく、左翼思想家が呼びかける「現実」に関与せよという号令に対して意識的にそっぽを向く事を選び取ってい
る。上に、プロレタリア作家の青野季吉が異国趣味の小道具に使われている点を指摘したが、荒川は日本の反体制的政治運動が宿命的に持たざるを得なかったマ
ルクス主義的性格に対して自らの政治的姿勢を示している。
「ランベルト正積方位図法のなかでわたしは感覚する。」という一文は、『娼婦論』『水駅』に頻出する地理の比喩に連なる。例えば、
「わたしは君を/地図の上に視ている」「君の死は高低だ」「倒れ木の音は 落ちゆく地理に気をもみながら負の風をうけて、樵夫の午後に匿されてゆく。」(「キルギス錐情」)「おんなは冷たくよろいどを下ろす、わたしは地図の外に こぼれる。」(「ソフィア補填」)「遺跡を低く地理にまで落とし、たくましく、不安を選びとっている」(「タシュケント昂情」)「暗く傾きながらも東部を せりあげる、萌さぬ地理がある」(「雅語心中」)(以上『娼婦論』)「この眺めをみがきながら、きょうも地理院はあたらしい地図の制作をつづける、、、そ れから地図の上にも夜が来る。仕上げのように、しろい風がわたる。」(「水の色」)「地図のしわをのばし、わたしは、ひとひきの稜線のふるえをさすってみ る。」「高所の毬」)(以上、『水駅』)
この地理をめぐる比喩に共通しているのは、抽象的な概念と実在する具体物という本来なら存在論的かつ論理的に異なるレベルに存在するはずのものが、同一レ
ベルに置かれているという点である。地図は実在の地形を縮小したもので、その上に人が乗ったり、夜が来たり、その外にこぼれたりすることは不可能だ。地図
は実際の地形の表象である。人が地図の上にいるというのは、その人が実際に巨大な地図の上に座っているのでないかぎり、狂信的な国粋主義者が巨大な国旗の
上で戦争するようなものだ。そのような表現は正確な意味で言えば比喩ですらない。我々が知っている世界の中で起こる事象に置き換えて理解することが不可能
だからである。読者は、ただ、荒川が意図的に事物とその表象を同一レベルに置くことによって論理を撹乱していると理解し先に進むしかない。類似の表現は頻
出する地理のモチ−フに関係しないものも含めると沢山ある。
「風は風を越えひとは類をのみほし」(「タシュケント昂情」)「ひもじい 素数のしかばねがみずからの骨相をつくろう岸辺で」「わたしは淫に均され、暮色の索引に陥る」(「雅語心中」)「にじますは虹と訣れ絹は逝く雪譜のかろさ よ非にもみぞれ」(「娼婦論」)(以上、『娼婦論』)「そしていま、(写字修道士は)ペンのちいさな海抜を倒す。写しの済まない一枚の、青い平地を眼に染 めて。」(「初期中世のひかりに」)「高地のアンソロジィがつづく、、、官位になびかないするどい標高をしめしている。」(「ウイグル自治区」)(以上、 『水駅』)
「ひとは類をのみほし」とあるが、「ひと」はヒトという種の一外延であり、類はそれより大きな次元の異なるカテゴリーであるから、飲み干すことなど出来な
い。論理的に異なる次元を同レベルに置くことは、ある意味でエッシャーの騙し絵を見ているような眩暈を起こさせる。「わたしは淫に均され、暮色の索引に陥
る」という表現もそれに類似している。索引は書物から抽象されたものである。書物は世界からの抽象であるから、索引に陥るというのは、喩えて言えば、映画
館の観客がスクリーンの中のスクリーンに入って行き、映画の中の映画に登場人物として現われるようなものだ。娼婦が語る<あの青い空も遺跡よ>(「タシュ
ケント昂情」)という台詞も同様である。遺跡は考古学者にとって、地図が地理学者にとって持つような意味を持っている。遺跡は古代の文明の表象であり、古
代都市を再構築するための見取り図である。言い換えれば、遺跡は解読されるべき古い書物であり、異本の堆積が考古学者(注釈者)の仕事を難解にしている。
『娼婦論』には「異本の坂」という詩が「雅語心中」と「娼婦論」の間に挟まれていて、古文書(書物)というモチーフを奏でている。『水駅』では、
修行を兼ねて写本に励む修道士が登場する。最後の字を写し終えた後、彼は瞑目し、「ペンのちいさな海抜をたおす。」
5.
『娼婦論』と『水駅』の類似点を具体的に羅列して行くと切りがない。両者
は数年の間を置いて発刊されているが、同一の構想から生まれた双子のようである。しかし、それぞれが詩集としての統一感を持っている印象を与えるのは、タ
イトルに由来する。『水駅』の中の多くの詩は水をモチ−フにしており、『娼婦論』では「ショウ
+フ」という音の連なり(あるいはそれに類似する音の連なり)が様々な形を取って現れる。ここでは『娼婦論』を中心に論じる。
『娼婦論』という詩集の題は、収録された最後の詩の題でもあるが、この詩
集全編は意味の網の目を張り巡らせており、読者はそれを解きほぐすようにして読むことを強いられる。例えば、「娼婦」という言葉は、様々な変奏を全詩集を
通じて繰り返す。「キルギス錐情」に出てくる「樵夫」は同音異義語であるし、「娼婦論」に出てくる「雪譜(せっぷ)」という言葉は、1)拙婦(愚妻)、
2)節婦(貞節な女性)、3)褻夫(淫乱な男)などの幅広い同音異義語を持っている。「雪譜」という語はまた、石婦(うまずめ)という語を連想させる。石
婦は同時に「石斧」という同音異義語に連なる。「斧」という語は明らかに男性生殖器を象徴しているから、この同音異義語の対は意味深げである。「石」とい
う言葉は、理由なく選ばれたのではない。「タシュケント昂情」の題材である中央アジアのタシュケントという町は、その色調を決定づける石の存在で知られて
いる。
このような同音異義語群は何のために詩集全編に渡って鏤められているのだ
ろうか。偶然であることは考えられないから、詩人の意図が背後に存在することは疑いえないが、ひとつ考えられるのは、そのような同音異義語は表面的な意味
の相違にかかわらず何らかの類似性を深層に持っている可能性があるということだ。「石婦」と「石斧」は、ある意味では全く無関係のカテゴリーであるが、そ
れらが類似したものであると見做す世界観は存在しえる。その世界観は荒川の詩集の中でしか存在しないものであるかもしれないし、文化人類学的に現存するこ
とがが立証されたものであるのかも知れない。それが如何なるものであるのかを次に探ってみよう。
先ず、通常「娼婦(しょうふ)」が女で、「樵夫(しょうふ)」が男である
という自明な点を確認するところから始めよう。別に、性的なステレオタイプを延命させようとしているのではなく、詩人が「ふ」という語を「婦」と「夫」と
いうように区別しているのに従っているまでである。「ふ」という音は、明らかに男根の象徴である「斧(ふ)」という語を連想させる。この「ふ」という語を
中心にして、「雪譜」「石婦」「石斧」「拙婦」「褻夫」「節婦」などの語が小宇宙を形成しているのは上に見たとおりである。音の上では類似していても、意
味上では無関係に見えるこれらの語を繋ぎ留めているものは何であろうか。分かりやすくするために、図式化してみよう。
しょうふ
樵夫 娼婦
斧 オーラルセックス
(「男斧のほおばりに疲れ」)
褻夫 石婦
石斧 拙婦、節婦
(男) (女)
「しょうふ」という音の連合によって繋ぎ留められる語彙を男と女に分類すると上のようになる。これらが何らかの意味の連合を形成しているとするならば、外
に両者と対立する第三項が存在しているからだろうと考えられる。その第三項は、月並みではあるが母=大地=豊饒のシンボリズムに他ならない。この概念対を
産み出す世界観は荒川洋治の『娼婦論』の中のみで通用する訳ではなく、前近代社会に於て一般的であったと言える。近代社会に於ては、性を売る女と子を産む
女は厳密に差別化されているわけではない。しかし、前近代社会においては、未婚女性、子供を持たない既婚の女、子供を持つ既婚の女、娼婦等はかなり厳格に
区別された。境界線を越える場合には物々しい儀式が行われたから、認識カテゴリーは否応なく社会の構成員の意識に刻み込まれた。そのような世界観の中で
は、子供を産む母は豊饒を象徴し、客のペニスを頬張る娼婦は精液を間違ったところに発射させるが故に石婦に連なる。同時に、ペニスを銜えさせる斧を持った
樵夫=褻夫は精液を浪費するが故に母が象徴する豊饒性の反対のカテゴリーに属することになる。
この図式を参照すると、一見不可解に見える表現が意味深げに見えてくる。例えば、「娼婦論」に於て、何故「あなた」は「ほかびとにきかれまいと鈴に石をつ
めかける」のだろうか。また、同じ詩で雪が出てくるのは何故か。「雪譜のかろさよ/
非
にもみぞれ」とあるが、何故雪譜が軽く、みぞれは非(ひ、火?)に降るのか。「タシュケント昂情」で、石は白いと形容されているが、「ソフィア補填」に
「しろい批評がある」とあるのと何か関係があるのだろうか?話者は、青空の下、石の白さに囲まれ、娼婦が横たわる脇で、火をおこす。この行為は何かを象徴
しているのだろうか。「キルギス錐情」で「在りかけるひとはいつも赧らんでいる」とあるが、これは赤ん坊のことを指しているのではあるまいか。「在りかけ
て閉じる」というのは、口減らしの為に赤ん坊を間引きすることを指してはいないだろうか。貧しい娼婦はそうしただろうし、オーラルセックスはある意味で
は、受精する前の避妊、一種の間引きであるとも言えなくはない。「諸島論」には「指の数を憂えながら石女のやさしさで胎児を否決するとき」という表現があ
る。
このような様々な疑問に明解な答えを出すことは出来ないし、詩は元々そのような明解さを目指してはいない。荒川洋治の詩は戦後詩の中でも、修辞に凝ったも
のの筆頭に挙げられるだろう。和歌の伝統は高度に洗練された修辞と象徴の体系を作り出した。明治に西洋詩の模倣から始まった「詩」は、日本のそのような和
歌の伝統を否定することから出発したと言ってよい。否定してその跡を受け継いだものは西洋の本物に似せたものであったり、叙情的自我という構築物であった
り、漢詩の残骸であったりしたのだが、詩人自らが象徴体系を創りだすということは、稀であった。荒川洋治が『娼婦論』で試みていることはそのような象徴体
系構築であると考えられる。上に述べた同音異義語をめぐっての意味の連携は、読者がそれを再構築し易いように作者が設けたヒントであると考えると一番分か
りやすい。荒川の詩は一見不可解で読者を無視しているようであるが、他の多くの「モダニスト」詩人と較べれば親切な部類に属する。自己陶酔としか見えない
詩が多い中で、荒川の詩はまだ解釈する気を起こさせる。
『娼婦論』では、上に述べた他にも、複数の読みが可能であるという漢字の特質を使った興味深い修辞を駆使している。例えば、「キルギス錐情」という題であ
るが、錐情という熟語は漢和辞典を引いても載っておらず、荒川の造語であると考えるほかない。尖ったものであるから、「斧」に連なると考えてもいいだろう
が、「倒れ木の音は落ちていく地理に気をもみながら負の風をうけて、樵夫の午後に匿されていく」という表現を見てみると、「もみながら」という動詞は、
「錐」という言葉と通常一緒に使われるし、「錐」という言葉は「円錐」などの用語からも推察できるように幾何学、地理及び地図学を連想させる。そのように
解釈することは、詩全体の文脈からも納得できる。
上に見たように『娼婦論』と『水駅』の両方において、「異本」、「索引」、「落丁」、「写字修道士」など書物に関する表現が頻出するが、その文脈に置くな
らば、「ショウ
+
フ」の「ふ」は古代中国の詩形「賦」を指していると考えることもできる。だから、「雅語心中」に陶潜や杜甫や李白が出てくるのも意味がないわけではない。
賦が上に示した「ふ」に連なるということは、書き言葉つまりテキストが、「娼婦」対「母」という象徴体系の二項対立に於いて前者に属するということを意味
している。言いかえれば、「娼婦」対「母」の二項対立が、上に見た「表象」対「物」、「言葉」対「物」、延いては「書き言葉」対「話し言葉」、「認識行
為」対「認識対象」などの二項対立と通底していると解釈することが可能だ。
この二項対立は西洋哲学の根幹に深く根を張っており、プラトンの寓話にも見られるように、影と本物という風に、後者の実在論として語られることが多かっ
た。一方、荒川の方は、問題の二項対立のどちらかをより高く評価するということはしていない。ソクラテスは言葉が生み出す修辞は幻のようなものでそれに惑
わされてはいけないと戒めたが、荒川は言葉による世界の表象と世界そのものの間に価値の高低をみとめない。それどころか両者のの混乱を詩の中に造りだし楽
しんでいる。例えば、「タシュケント昂情」の中で話者は「遺跡がほんとうなのか、それともひとびとがほんとうなのか」と自問自答する。それに答えて娼婦は
<あの青い空も遺跡よ>と呟くのだ。遺跡がテキスト(表象)であり、生身のひとびとや青い空が世界であるとすると、荒川はその間に論理的な段階を認めず、
表象即実在、実在即表象であるような謂わば仏教的とでも形容すべき世界観を提示している。しかし、このような哲学的な議論は実は言葉のまやかしであるかも
しれない。娼婦の<あの青い空も遺跡よ>という言葉を文字通りに解釈してはどうだろうか。宇宙の考古学者である宇宙論学者にとっては、宇宙線天文学
者が青い空から受け取る情報は、宇宙の起源の鍵を解くための遺跡に他ならない。光の速度は有限でかつ一定なので、我々が空に見るのは何億年も前の宇宙の姿
である。
6.
どのような詩であってもその書き出しは詩人が最も苦心する部分である。詩集自体が有機的関連をもった詩群から成り立っている『娼婦論』の場合、その重要性
はより大きくなるだろう。「方法の午後、ひとは、視えるものを視ることはできない」という最初の一行は一体何を意味しているのだろうか。
方法という言葉を人間が理解に到達するための道筋であると解釈するなら、この行は、方法論について思索に耽っている時、ひとはものが視えていても実際は視
てはいない、と言い換えることができる。これはただの陳述であるのかもしれないが、スピーチアクトであると捉えるなら、抽象の世界に沈静していないで、
「世界に出て行動せよ」と言っていると解釈できるかもしれない。修辞を究めて言葉の世界に退行してしまっているような難解な詩の書き出しが、プロレタリア
文学のメッセージと基本的に同一であるというのは、アイロニカルではある。詩人は本当にそのようなメッセージを意図したのであろうか。「方法の午後、ひと
は、視えるものを視ることはできない」で始まる「キルギス錐情」は、
キルギスの草原に立つ人よ/君のありかは美しくとも/再び ひとよ/単に/君の死は高低だ//わたしは君を/地図のうえに視てい る/ときおりわたしのてのひらに/錐のように/夕日が落ち/すべてがたしかめられるだけだ
という風に終わる。「君は行動して死んだ。(樺美智子でも三島由紀夫でも誰でもよい。)その死は美しいが、私は君が存在する世界の大局を俯瞰している。そ
の視点から視ると君は一つの芥子粒でしかない、」というような、思索者の突き放した断言と解釈することが可能だ。そうだとすると、「視えるものを視ること
は出来ない。」という一行をめぐっての上の解釈と矛盾する。どちらが正しいのだろうか。あるいはどちらも的外れなのだろうか。
7.
荒川詩の語彙は難解である。辞書を引かないと読めないような漢字が多く使われている。北原白秋、蒲原有明、薄田泣菫が思い出される。しかし、彼等のように
語彙の音韻的特長を日本語化することに全力を注いでいる訳ではない。大和言葉と漢語が適度に混ぜ合わされている。というより、両者を戦略的に配置すること
によって文体的効果が産み出されていると考えたほうがよい。例えば、「雅語心中」に於て、雅語の印象を作り出しているのは、白秋・有明・泣菫らの場合と同
様に大和言葉である。しかし、この詩を読めば、漢語も多く使われていることは一目瞭然だ。大和言葉の存在が読者の意識に強く印象づけられるのは、殆どすべ
ての動詞が大和言葉であり、その他、大和言葉らしき名詞が所々にちりばめられてあるからだ。「しなう」「かぶり」「たぐる」「まぶし」「ゆする」「ゆら
す」などの純日本語の動詞が選ばれ、漢語を使ったサ変動詞は徹底的に避けられる。動詞以外の大和言葉としては、「ほろび」「みずぬれ」「しらふ」「ひとひ
れ」「しかばね」「まぶか」「くすぶり」等、頻出する。サ変動詞としては「登録する」が稀な例であるが、「かかわる浅瀬をやさしく登録し」という風
に、大和言葉の中に埋め込まれているような印象を与える。「索引に陥る」「嬰児がとぎれる」「湿った韻をあやしている」「改行がなきぬれる/ しかばねが
所与の無言を渡る」「あなたへの美称も涸れた」等は、漢語の名詞と大和言葉の動詞の組み合わせで意味深げな表現を作っている。そのような場合、意味が一般
的な意味で不明であることが、動詞の大和言葉性を際だたせることに貢献しているのではないだろうか。例えば、「改行がなきぬれる」という、無機質な漢語が
主語で情緒溢れた大和言葉が述語を構成している一文がある。通常の文法では非文であるが、詩は文法を破ってよいことになっているので、強いて意味を取ろう
とすると、その意味の核は、主部の「改行」ではなくて、述部の「なきぬれる」であると考える読者が大半であろう。その理由は、非時間的な名詞と比較して、
述部を構成する動詞は、時間を内包するからだと考えられる。地球が動いているか、太陽が動いているか、或いは銀河系が動いているかは、認識のシステムによ
る。だが、何かが動いているという認識は、主語を同定しようとする思考の働きに先んずる。「改行がなきぬれる」という表現に戻ると、その動詞が情動
に訴えかける種類のものであるという点も無視できない。「湿った韻をあやしている」というような表現は、通常の意味での意味を持っていない。そのような言
述が実際的な意味を持つ世界を我々は想像も出来ない。それだからこそ、「あやす」という動詞の大和言葉的な響きが読者に強く印象づけられる。「雅語心中」
の中の一行「かかわる浅瀬をやさしく登録し、抱擁をひらがなにして、あなたは帯をしめなおす」(「雅語心中」『娼婦論』)という文は、『娼婦論』全体の
トーンを正確に伝えている。そのトーンとは平仮名のそれであり、雅語、大和言葉、和歌のそれでもある。
文体が人工的であるという点で、荒川の詩と有明・泣菫・白秋ら「象徴主義」詩人達の作品は類似しているが、共通点はそれだけに留まらない。「象徴主義」詩
人の作品に見られる異国趣味は、荒川の詩にも影を大きく落としている。白秋にとっては、南蛮情緒の漂う切支丹の地長崎であり、泣菫にとっては法隆寺が建造
されて仏教美術が栄えた白鳳時代の奈良であった。(注3)『娼婦論』の荒川にとっては中国、中央アジア、東欧であり、それらを繋いでいたシルクロードが日
本の白鳳文化と無縁ではなかった遠い昔への郷愁である。ただ、興味深いのは、『娼婦論』や『水駅』が出た1970年前半には旧共産圏の東欧などは異国情緒
を漲らせていたかもしれないが、例えば、
つめたいけんばんにかゆい指をうずめる。音などはきかない。ただ指はしずむ。ザグレブ。ザグレブの砂地。(中略)クロアチア区は けさから雨だ。注意ぶかく切りわかれ、またひとつの国家がかわいたままながされていく。ユ−ゴスラビア王国。クロアチア区。ザグレブ。(「ユ−ゴ・一九二 九年一月六日」(『水駅』)
というような文章の異国情緒は日本がクロアチアとワ−ルドカップで対戦するようになった1998年までにはかなり薄まってしまっただろう。
8.
荒川洋治は身辺雑記的叙情的詩を書かない。『娼婦論』や『水駅』は極度に空想的非日常的な世界を作り上げており、荒川は今世紀後半の首都圏に住む自分自身
について全く興味を持っていないか如くの印象を与える。しかし、実は、彼は彼自身の流儀で自分の日常生活にまた日本の政治に興味を示す。『水駅』以降から
は、荒川の分身らしき「わたし」が登場して、彼の日常生活を話題にして行く。荒川は例えば、『針原』(1982)に収録された「白文I」という作品で驚く
べき率直さを発揮して次のように書く。
なにか起こったり、俗にいう/右傾化がクロ−ズ・アップされたり/すると/私が読むのは左翼の談話ではなく/自民党の/つまり政 府のひとたちの談話である/反対側にいて人間のあるべき未来を説き/ことの深み、/底を照らし/「私」時を返上して/デモをやったり/しているひとたちの 顔とことばを/伝えるニュ−スには/わるいが目がいかない/私は政府側のひとびとの/したこと出したことばを/そんなときは/じっくり/読む/つまり/政 府のみなさん/私はあなたたちのかくれた/ファン/というわけ、です/
つまり荒川は戦前のプロレタリア作家を趣味で、しかし、共感を持って読みつつも、戦後の新左翼には違和感を持っていて胡散臭い目で見ている。詩の話者と詩
人を単純に同一化するのは危険だが、ここでは強引にそう解釈することにする。しかも、そのような態度は30代過ぎてから身につけてものではなく、20代の
初期からすでに身につけていた。
『娼婦論』や『水駅』は、その意味で、新左翼が煽った「世代の興奮」に対する違和感の表明なのである。そのような態度を「新右翼」と呼ぼう「新保守」と呼
ぼうが人の勝手であるが、その早熟と一貫性は認めなくてはならない。荒川は「アイ・キュ−の淵より」(1979)という悪名高いエッセ−で、108のIQ
を持つ自分を半ば冗談で卑下して、IQがそれ以上あるに違いない学者詩人に向け「知性をかなぐり捨てよ。そうすれば巧い詩が書けるようになる。」と呼びか
ける。IQが何を測るのかははっきりしないが、IQが彼より高いはずの学者詩人で荒川ほど早熟であった人はそれほどいない。
1. 吉本:『マスイメ−ジ論』、1985、福武書店;北川:『侵犯する演技』、1987、思潮社;鮎川:「詩はいま、どのようにかかれているのか−(詩の現 在)<詩の現 在>からの十編を読む」、1986、「現代詩手帖」九月号:『荒川洋治ブック』、1994、彼方社に基づく。
2.「現代詩手帖」:1977年、10月号、対談「詩意識の変容と言葉のありか」、97頁
3.
例えば、両詩人の代表作とも言える。次の作品(抜粋)と比較するのは興味深い。殆どすべての漢字に大和言葉の振り仮名がふられているが煩瑣になるので省略
する。
ああ大和にしあらましかば
ああ、大和にしあらましかば、
いま神無月、
うは葉散り透く神無備の森の小路を、
あかつき露に髪ぬれて、往きこそかよへ、
斑鳩へ。平群のおほ野、高草の
黄金の海とゆらゆる日、
塵居の窓のうは白み、日ざしの淡に、
いにし代の珍の御経の黄金文字、
百済緒琴に、斎ひ瓮に、彩画の壁に
見ぞ恍くる柱がくれのたたずまひ、
常花かざす芸の宮、斎殿深、
焚きくゆる香ぞ、さながらの八塩折
美酒の甕のまよはしに
さこそは酔はめ。
邪宗門秘曲
われは思ふ、末世の邪宗、切支丹でうすの魔法。
黒船の加比丹を、紅毛の不可思議国を、
色赤きびいどろを、匂鋭きあんじやべいいる、
南蛮の桟留縞を、はた、阿刺吉、珍陀の酒を。
目見青きドミニカびとは陀羅尼誦し夢にも語る、
禁制の宗門神を、あるはまた、血に染む聖磔、
芥子粒を林檎のごとく見すといふ欺罔の器、
波羅葦僧の空をも覗く伸び縮む奇なる眼鏡を。(以下略)
『荒川洋治詩集』、現代詩文庫、思潮社、1981
『続・荒川洋治詩集』、現代詩文庫、思潮社、1992
「現代詩手帖」思潮社
『荒川洋治ブック:リストで知る詩人の真実』彼方社編集、彼方社、1994